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福岡地方裁判所 平成元年(行ウ)10号 判決 1992年1月22日

原告

誉多正之

右訴訟代理人弁護士

住田定夫

被告

北九州市長末吉興一

右訴訟代理人弁護士

吉原英之

右指定代理人

大庭茂義

古賀哲矢

田仲秀都

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  控訴費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告に対し、昭和五八年九月三日付けでした分限免職処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和三七年一一月一六日旧小倉市に採用され、昭和三八年二月、五市合併による北九州市発足後も引き続き同市事務吏員として勤務し、昭和四八年六月一日から民生局小倉中福祉事務所保護課、昭和五一年七月一日から小倉南区役所課税課、昭和五五年八月一日から建設局小倉北建設事務所管理課、昭和五八年一月一日から衛生局門司保健所保健予防課、同年八月一日から同年九月三日まで衛生局総務課に勤務していた。

2  被告は、原告の任命権者である。

3  被告は、原告に対し、昭和五八年六月三日付けで地方公務員法(以下「地公法」という。)二八条一項一号及び三号に基づき、分限免職処分(以下「本件処分」という。)をした。

4  しかし、本件処分は、原告が個人的な財産関係を整理するため昭和五八年七月に破産宣告の申立てをした旨を報じた一部新聞の記事を軽信し、処分理由が存在しないのになされた違法なものであるから、取り消されるべきである。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3の各事実は認める。

同4は争う。

三  抗弁

被告は、原告の勤務実績、服務関係、素質的及び性格的な面等において、地公法二八条一項一号の「勤務実績が良くない場合」及び同項三号の「その職に必要な適格性を欠く場合」に該当する事実が認められたため所定の手続により本件処分を行ったものであるが、右各号に該当する具体的な事実の要旨は、別紙裁決書(略)の理由欄「第1事実認定」の2及び3(ただし、3の「(8)上野晟志及び中川正美との関係」の部分は除く。)に記載のとおりであり、したがって、被告のした本件処分に瑕疵はない。

四  抗弁に対する認否

1  別紙裁決書(略)の理由欄「第1事実認定」の「2 勤務実績について (1) 出勤状況 ア 遅刻」記載の事実のうち、昭和五七年五月から同年一二月までの間に一〇分ないし五六分間の遅刻が一三回あった事実は認めるが、その余の事実は否認する。

原告は、遅刻の際には電話でその都度連絡しており、連絡できなかったのは、昭和五七年一二月の一分間の遅刻一回と二、三分間の遅刻一回及び労働組合の時間内集会に五六分間参加したときのみである。

2  同「イ 休暇の取得状況」の(ア)ないし(エ)記載の各事実は認める。

ただし、原告には高血圧の持病があり、職場での健康診断の折り、医師から「再検査、治療に専念するよう。」指導を受けていた。そのため、原告は、昭和五六年一〇月から通院治療している状況にあり、病気休暇(以下「病休」という。)の取得には必要性、理由がある。また、昭和五七年度に休暇が多かったのは、保証関係やテナントビル建設問題で心労が重なり、血圧の変動も激しかったことによるものである。

3  同「ウ 上司の注意、指導」記載の事実のうち、昭和五七年度に上司から職場で一回、自宅で一回、年休を計画的に採るようにとの注意、指導があった事実は認めるが、その余の事実は否認する。

管理課長古賀二郎(以下「古賀」という。)が、庶務係長徳永義和(以下「徳永」という。)と共に昭和五七年一月二六日に原告宅を訪問した事実はなく、古賀らが原告宅を訪れたのは同年七月五日のことであり、この時は、同僚の富田正樹の行方不明に関する事項を尋ねることと、係長の異動の挨拶が主たることであった。被告は、古賀らが亀田洋一方を昭和五七年一月六日に訪問したのを、原告方への訪問と誤認し、かつ、日時も一月六日を一月二六日と誤認して主張しているものである。

4  同「(2) 勤務状況」記載の事実のうち、原告が被告主張のような業務を担当していたこと、庶務係にある外線専用電話機を課長席に移設したこと、原告の病休の際、同じ課内で仕事について通常の援助がなされたこと、昭和五八年一月衛生局門司保健所予防課、同年八月衛生局総務課に異動したこと、同年八月は破産申請後債権者から若干の電話が当初あった事件は認めるが、その余の事実は否認する。

電話機の移設は、古賀が個人的に借財していた金融業者からの電話を原告らに知られないために古賀の希望でなされたものである。

5  「3 適格性について (1) テナントビル建築の経過」のアないしエ、キ及びク記載の各事実は認める。

同オ記載の事実のうち、原告がテナント募集に奔走しなければならなかったことは否認し、その余の事実は認める。

同カ記載の事実のうち、テナントビルへの入居の状況の事実は認めるが、その余の事実は否認する。

6  同「(2) テナントビル経営の許可」記載の事実は認める。

ただし、許可を受けていない例は他にもあり、現に古賀らはテナントビルの経営を知ってからは、本件処分時まで右許可の点を問題にすることはなかった。

7  同「(3) 借金による破産と新聞報道」記載の事実のうち、友人の保証をしたこと、破産債権者数、破産債権額を認め、昭和五八年八月六日付け朝日新聞等で「止まらぬ“借金将棋倒し”また北九州市職員」「市職員は『借金共同体』?」「『借金に追われなくて済むと思ったら、むしろさっぱりした。』とけろり。」等の報道がなされたことは認める。

しかし、右報道内容は、一方的な取材により、原告の真意を無視したものである。

8  同「(4) 住宅資金貸付けの利用」記載の各事実は認める。

9  同「(5) 病休中の行動」記載の事実のうち、病休中に金策等の活動をしたことは否認する。

10  同「(6) 生活保護受給者等からの借金」記載の事実のうち、原告が借入をしたことは認めるが、右借入は三村光利及び松本豊子からの紹介によるものではあるが、同人らから借り入れたものではない。

11  同「(7) 同僚らとの保証関係等」のア記載の事実は否認する。

同イないしオ記載の事実のうち、原告が保証人となっていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

理由

一  原告の経歴及び本件処分の存在

原告は、昭和三七年一一月一六日、旧小倉市に採用され、昭和三八年二月の五市合併による北九州市発足後も引き続き同市事務吏員として勤務し、昭和四八年六月一日から民生局小倉中福祉事務所保護課、昭和五一年七月一日から小倉南区役所課税課、昭和五五年八月一日から建設局小倉北建設事務所管理課、昭和五八年一月一日から衛生局門司保健所保健予防課、同年八月一日から同年九月三日まで衛生局総務課に勤務していたこと、被告が、原告の任命権者であること、被告が、原告に対し、同日付けで地公法二八条一項一号及び三号に基づき、本件処分をしたことは、当事者間に争いがない。

二  本件処分の理由となった具体的事実の存否

1  勤務状況等

(一)  原告が、昭和五七年当時、建設局管理課庶務係で、経理、物品管理、備品管理、道路照明灯の維持管理、福利厚生、予算管理(副担当)の六項目に関する事務を担当していたことは、当事者に争いがない。

(二)  原本の存在は争いがなく、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、後記認定のとおり、年休、病休及び遅刻が多かったため、担当していた道路照明灯の維持管理等に関する事務処理が滞った。このため、古賀(管理課長)は、昭和五七年度において、原告の担当する職務の半分近くである経理、福利厚生、予算管理(副担当)に関する事務を他の職員に肩代わりさせ、他の職員に迷惑をかけることになった。

(2) 原告は、右担当事務として物品購入手続をも処理していたが、その伝票処理等に手落ちがあったほか、原告が整理した備品台帳には、誤りが多く、昭和五八年八月に原告が衛生局総務課に異動した後で、他の者が全部やり直さざるを得ない状況であった。

(3) 原告は、勤務時間中に私用の来客が多く、古賀から、来客の際は人の目の届くところで会うように注意された。しかも、原告は、担当の庶務係にある外線専用電話を私用のために利用することが多く、このため、同年六月一日には、外線専用電話を課長席に移設したほどで、また、原告に対しては、私用電話が職場にかかってくることも多く、昭和五七年一一月及び一二月には、多い日には三〇回を数えるほどであった。そして、原告は、昭和五八年八月、衛生局総務課に異動したが、新たな職場にも原告の債権者と思われる者から頻繁に電話がかかってきたため、原告本人はもとより他の職員も仕事を中断されるなど公務に支障が生じた。

(三)  原告は、電話機の移設は、古賀が個人的に借財していた金融業者からかかっていた電話を原告らに知られたくないために、古賀の希望で移されたものであると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

また、原告は、昭和五七年九月頃から一二月までの同僚らによる肩代わりは、一広修二に対するものであったと主張しており、(証拠略)及び原本の存在は争いがなく公文書なので成立を推定すべき(証拠略)によれば、一広は、原告と同じ管理課庶務係に所属し、右期間病休を取得していたこと、が認められるが、他方、原告自身、同年九月から一二月までの間に、病休を合計二三日間も取っているのであって、この間、他の職員が原告の仕事を肩代わりしていたことは明らかである。

2  休暇等の取得状況

(一)  遅刻

(1) 原告は、昭和五七年五月から一二月までの間に一〇分ないし五六分間の遅刻が合計一三回あったこと(原本の存在及び成立に争いのない<証拠略>によれば、同年八月二八日、九月一六日、二八日、一〇月六日、一二日、一一月二日、一六日、一二月九日、一一日、一六日、一八日、二四日である)は当事者間に争いがない。

(2) (証拠略)によれば、原告の右遅刻のうち、一二月二四日のものは、労働組合による勤務時間内の職場集会に参加したためのもので、その余のものも、いずれも無届けであったこと、原告には、右各遅刻のほかに、同年一月から四月までの間に、出勤簿上は記載されていないが、約一〇回の遅刻があったこと、が認められる。

(3) 原告は、遅刻の際はその都度電話等で連絡したと主張し、原告本人の供述中にはこれに副う部分があるが、右供述部分は前掲証拠に照らし、ただちに採用することができない。

(二)  休暇の取得状況

当事者間に争いがない事実によれば、原告の年次休暇(以下「年休」という。)及び病休の取得状況は次のとおりである。

(1) すなわち、昭和五五年は、同年中の年休二〇日を一〇月までに全部費消しているほか、合計二七日の病休を取っており(<証拠略>によれば、同年一月二三日、二月一九日、三月二四日、四月二二日、五月二一日、二三日、六月二三日、二四日、九月三日、九日、一八日、一〇月一日、二日、一四日、一五日、三一日、一一月一日、一二日、二二日、一二月三日、六日、一一日、一三日、一八日、一九日、二五日、二六日である)、右二七日の病休は、全て診断書を要しない三日以内のもので有給であった。

(2) 昭和五六年は、年休二〇日のうち九日を一月に、残り一一日を五月までに全部費消し、このほか合計七一日の病休を取っており、(<証拠略>によれば、同年三月一〇日、一八日、一九日、三〇日、四月七日、二一日、二二日、二七日、五月一日、一二日、一九日、二六日、三〇日、六月二日、一一日、一五日、一七日、一八日、二三日、八月一日、四日、一一日、一二日、一七日、二一日、二二日、三一日、九月九日、一六日、一八日、二四日、二五日、一〇月一日、五日、七日、八日、一九日、二〇日、二三日、二四日、二八日、二九日、一一月二日から三〇日、一二月二日、七日、一五日、一八日、二一日、二四日である)、右七一日の病休のうち四八日は診断書の提出を要しない三日以内のものであった。

(3) 昭和五七年も、年休二〇日のうち一〇日を一月に、残り一〇日を四月までに全部費消し、ほかに病休八四日を取っており、(<証拠略>によれば、同年三月三〇日、三一日、四月一四日、二二日、五月一二日から一四日まで、二一日、二七日、六月一日から七月三〇日まで、九月六日、一七日、一八日、一〇月一日、八日、二六日、三〇日、一一月四日、五日、一〇日、一七日、一九日、二四日、一二月二日から八日まで、一四日、二〇日、二二日、二七日である)、右八四日の病休のうち二六日は診断書の提出を要しない三日以内のものであった。

(4) 昭和五八年は、本件処分を受けた九月三日までに、年休二〇日のうち一六・五日を費消し、ほかに病休を九二日取っており(<証拠略>によれば、同年三月一四日、二九日から三一日まで、四月一一日、一五日、二二日から五月二三日まで、二五日から六月二一日まで、六月二七日から八月九日までである)、右病休のうち六日は診断書の提出を要しない三日以内のものであった。

3  病休中の行動

(一)  (証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、いずれも病休中の

<1> 昭和五五年一〇月三一日、岡村良子との間で、金二〇〇万円の連帯保証契約を締結し

<2>ア 昭和五六年一一月五日、三和工業から運転資金名目で金一二〇〇万円、

イ いずれも三村光利から、昭和五七年六月一日金七〇万円、同年七月一日金一〇〇万円、同年一二月六日金一〇〇万円、昭和五八年六月三日金一〇〇万円、

ウ 昭和五七年六月一七日、岡田利定から金一三〇〇万円、

エ いずれも福岡県労働金庫から、昭和五七年七月一三日金三〇〇万円、昭和五八年五月二八日五〇〇万円、

オ 昭和五七年一二月二〇日、株式会社ワールド・ファイナンスから金四〇〇〇万円、

カ 昭和五八年三月三一日、ローンズ東京から金三〇万円、

キ 同日、有限会社臼田商事から金二〇万円、

ク 同年六月三〇日、杉本末博から金一〇〇万円、をそれぞれ原告自身で借り受けた。

そして、右借受けに対する労働金庫やサラ金等に対する根抵当権設定手続等も主に原告が自身でした。

(2) また、原告は、昭和五八年七月一〇日から同月二八日にかけて、自ら金策のために福岡相互銀行(現福岡シティ銀行)北九州支店、西日本銀行北九州支店へ行ったり、親戚の家で資金繰りの工作をしていた。

(二)(1)  右認定に事実について、右借受けの際には金融機関の担当者が原告方に来たとか、電話で申し込んだだけなどという原告の供述記載があるが(証拠略)、原告の妻誉多澄江が金融業者である中川正美に対して、病気療養中であるはずの原告が金策のため東京に行っている旨を述べている事実があること(証拠略)などに照らし、原告の右供述記載はただちに採用することができない。

(2)  また、原告は、前記病休は、真実病気によるもので、必要かつ正当なものであると主張しているところ、弁論の全趣旨により成立を認める(証拠略)、原告本人尋問の結果によれば、原告には高血圧の持病があり、昭和五四年度の職場での健康診断の際、医師から定期的に受診や検査が必要である旨の指導を受けていたこととが認められるものの、原告がこれらの病気治療のために病院等に入院した事実は認められず、かえって、病休期間中に金策に駆け回っている状況が認められることは先に述べたとおりであり、病休の回数が先に認定したとおり多数回であることを併せ考えれば、原告の右病休期間中には、本来の病休制度の趣旨目的に反してこれを利用したものがかなりの数に上っていることは疑問のないところである。

4  上司の注意指導

(一)  (証拠略)及び原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、次の事実が認められる。

(1) 前記のような原告の出勤状態を憂慮した上司の古賀及び徳永は、昭和五七年一月二六日、原告宅を訪問の上、原告に対し、遅刻をしないように、また、年休を計画的に使用して、勤務に支障が生じないようにしてもらいたい旨注意を与えて指導した。

しかしながら、原告は、後述のテナントビル建設に伴う借金の返済や友人の借金に対する保証問題等で、精神的に疲労し、高血圧・慢性胃炎・肝炎を再発させて、すでに認定した昭和五七年五月一二日から一四日まで、二一日、二七日、六月一日から七月三〇日までの病休を取った。

(2) 他方、昭和五七年に入り、北九州市の職員がサラ金等からの多額の借金返済に行き詰まって行方不明となり、退職したりする事例が相次いで発生し、右事実が新聞等で報道され、市職員の服務の乱れとして厳しい社会的批判を受けた。そこで、被告は、多額の借金を抱えていて勤務の支障のある職員については、指導のため勤務実態を観察することとし、原告をもこの観察対象とした。このような状況下で、被告は、昭和五七年七月五日、前記のように病休を取っていた原告宅に再度徳永を派遣して、原告の病状、ビル建設に伴う借金の返済状況、原告と親交のあった被告職員で、多額の負債を抱えて同年六月頃行方不明となっていた富田正樹との関係等について事情調査を行った。

(3) その後、原告は、昭和五七年七月三一日から出勤するようになったので、同年八月二日には、上司が、公私の区別を明確にし、勤務に精励して、他の職員に余分な負担をかけぬようにとの注意を与えた。しかし、原告は、前記の借金返済問題等の処理に悩み続け、同月中は態度にも落ち着きがなく、継続して仕事に集中できる状況ではなかったため、上司は、同年九月二四日、テナントビル建設に伴う借金の返済状況についての第二回目の事情調査を行った。

(4) また、原告が、すでに述べたように同年八月二八日及び同年九月一六日に遅刻し、同月二八日にも遅刻したため、上司は、同日、原告に対し、遅刻しないようにと注意を与えて反省を求め、その後も折りにつけ注意したが、前認定のように同年一〇月六日、一二日、一一月二日、一六日、一二月九日、一一日、一六日、一八日、二四日と再三にわたって遅刻を重ね、病休等を頻繁に取るという状況は変わらなかった。

(二)  もっとも、右認定した事項に関しては、原告は、古賀が昭和五七年一月二六日に徳永と共に原告宅を訪問した事実はなく、真実は、古賀らが同月六日に亀田洋一方へ行ったことを取り違えている旨主張し、証拠中(<証拠略>原告本人尋問の結果)にはこれに副う部分もないではないが、(証拠・人証略)によれば、古賀らが、亀田洋一宅を訪問したのは昭和五七年一月二六日ではなく、同月六日のことであること、亀田は管理係に所属していたため、古賀が亀田宅に行ったときには、庶務係長の徳永ではなく、管理係長の緒方が同行したこと、訪問先も、原告宅が京都郡苅田町であるのに対し、亀田宅は北九州市小倉南区北方で全く異なっていることが認められ、これらを考え合わせると、古賀らが原告宅への訪問と亀田宅への訪問を取り違えることはまずあり得ないものというべく、原告の右主張に副う右証拠はただちに採用することができない。

5  無許可によるテナントビル経営

別紙裁決書の理由欄「第1 事実認定」の「3 適格性について (1) テナントビル建築の経過」のアないしエ、キ、ク及び同「(2) テナントビル経営の許可」記載の各事実は、当事者間に争いがない。

右当事者間に争いがない事実と、原本の存在は争いがなく、弁論の全趣旨により成立を認める(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和四八年六月に小倉中福祉事務所に転勤した頃から同僚らと遊興に耽るようになり、その費用を捻出するため次第に借金をするようになったが、昭和五二年六月頃には相続した土地を担保に金融機関等からも高額の借金をするようになって、昭和五四年末には福岡県労働金庫等から合計三〇〇〇万円もの借金を抱えるまでになった。

(二)  そこで、原告は、昭和五四年末頃、自己の所有する苅田町京町の土地に建築費一億三五〇〇万円で鉄筋コンクリート三階建(二三店舗)の料理飲食関係のテナントビルを建築して経営することを計画したが、自己資金がほとんどない状態であったため、一億三五〇〇万円の建築費は借入金で賄われるという状況で、借金返済のために借金を重ねるという悪循環に陥った。しかも、四箇月遅れで昭和五六年一月にテナントビルが完成した後もテナントが一店も入らないため、原告は、自己の職務よりもテナント募集に奔走することとなった。しかし、立地条件の悪さ等から、昭和五六年末においても約半数の一二店舗しか入居せず、予定していた収益を揚げることができなかったばかりか、テナントの入居を促進するため、昭和五七年一二月に、さらに四〇〇〇万円を借り入れて内装工事をしたために、多額の借金の返済に追われ、後記認定のように、サラ金等から高利で借入をするだけでは足りず、かって職務上知っていた生活保護受給者からも借金を重ねるほど逼迫した状況に陥ってしまった。

6  住民票の操作等

別紙裁決書理由欄の第1の3の「(4)住宅資金貸付の利用」(略)に記載の各事実は、当事者間に争いがない。

すなわち、原告は、昭和五三年一〇月に苅田町京町二丁目のマンションを購入する際、共済組合から貸付を受けたのであるが、共済組合の内規によれば、貸付を受けた者は、貸付金の交付を受けた日から三箇月以内に、取得した住宅に居住していることを証する住民票等を添付して完了届を提出しなければならないとされているところから、同マンションには購入後も全く居住していないのに、あたかも居住しているように偽って住民異動の届をして右完了届を提出した後、再び実際の住所地へ住民異動の届出をした。

7  同僚らとの相互保証

別紙裁決書第1の3の「(7) 同僚らとの保証関係等」(略)記載の事実のうち、原告が保証人となったことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和五五年四月五日個人金融を営む岡村良子から金一六〇万円を借り受けた際に、同僚の富田正樹に保証人になってもらったが、同年一〇月三一日富田が岡村から金二〇〇万円を借り受けた際には、原告が保証人になってやった。また、原告は、同月一七日富田が濱村良明から金八〇万円を借り受けた際にも、保証人になり、昭和五六年二月七日原告が濱村から金三〇万円を借り受けた際には、富田に保証人になってもらっただけでなく、同年五月以降、富田の債務について合計一一件約二〇〇〇万円に上る連帯保証をしたが、富田が昭和五七年六月に行方不明となって返済不能となったため、結局、原告が富田の多額の債務を負担することとなった。

(二)  このほか、原告は、同僚の竹井一男や喜代原暸一、友人上田正道等と一緒にサラ金業者等に借金の相談に行って保証人にされたり、同僚から借金の借換があるからと言われて誰の分か確認もしないまま多額の借金の保証人になったりしている。

8  生活保護受給者等からの借金

(一)  (証拠略)によれば、原告は、昭和五七年頃、多額の借金の返済に追われていたとき、偶然、かって小倉中福祉事務所在勤中ケースワーカーとして自分の担当であった三村光利と出会い、引き続き生活保護を受給していた同人から、同年一月二八日以降借金をするようになり、その金額は、破産債権として残っているだけでも合計一一件一五二〇万円に及んでいること、また、同じく生活保護を受けていた松本豊子からも金一五〇万円を借用していたことが認められる。

(二)  もっとも、原告は、右借金については、三村及び松本からの紹介によるもので、同人ら自体からの借入ではないと主張し、これに副う証拠(証拠略)もないではないが、(証拠略)によれば、原告が福岡地方裁判所行橋支部に申し立てた破産事件の債権調査期日に破産債権として届け出た債権者は、三村及び松本名義であって、破産管財人及び債権者の異議もなく債権が確定していること、(証拠略)の債権者変更届は、三村及び松本について生活保護費の不正受給が問題となり、同人らが福祉事務所から生活保護費の返還を求められる状況になってから提出されたものであることが認められ、これらに照らし、原告の右主張に副う右証拠はただちに採用することができない。

9  破産申立てと新聞報道

原告が、昭和五八年七月二九日、福岡地方裁判所行橋支部に破産宣告の申立てをし、同年一一月一日、破産宣告を受けたこと、右破産手続で確定された負債関係は、債権者三五人、負債総額約三億一〇〇〇万円であったこと、原告が右破産宣告の申立てをしたことに関して、同年八月六日付け朝日新聞等で、「止まらぬ“借金将棋倒し”また北九州市職員」、「市職員は『借金共同体』?」、「『借金に追われなくて済むと思ったら、むしろさっぱりした』とけろり」等の報道がされたことは、当事者間に争いがない。

三  本件処分の適否

1  右に認定した事実に基づいて本件処分の適否を判断するに、地公法二八条所定の分限制度は、公務の能率の維持及びその適正な運営の確保を目的として、同条に定める処分権限を任命権者に認めると共に、他方において、公務員の身分保障の見地からその処分権限を発動しうる場合を限定したものであるところ、同条一項一号にいう「勤務実績が良くない場合」とは、地方公共団体の職員が担当すべきものとして割り当てられた職務内容を遂行してその職責を果たすべきであるにもかかわらず、その実績があがらない場合をいい、当該職員の出勤状況や勤務状況が不良な場合もこれに当たるものと解されており、また、同条一項三号にいう「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に起因してその職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生じる高度の蓋然性が認められる場合をいうものと解されているのであって、これらの意味における勤務実績の良否や適格性の有無は、当該職員の外部に表れた行動、態様、結果等を社会環境等の一般的要素をも考慮して相互に有機的に関連付けて評価し、判断することが必要である。

2  そこで、右のような観点に立って本件における前記認定の原告の勤務状況や諸般の行動等を観るに、原告は、昭和四八年頃から同僚らと遊興に耽り、その費用を捻出するため次第に数千万円に上る多額の借金を重ねるようになって、昭和五四年五月頃からその辻褄を合わせるために、公務員でありながら、虚偽の住民異動を届け出るなどしたほか、同年末頃からは、地公法三八条による任命権者の許可を得ることなく、料理飲食関係のテナントビルを建設し、これを経営して借金の返済を図ろうとしたが、そのために新たに一億数千万円に上る借金をするなど杜撰かつ無謀な計画であったため、従前以上にその場凌ぎの借金を重ねなければならない結果となり、金策に追われて役所を休まざるを得ないことも多くなって、昭和五五年から本件処分に至る昭和五八年九月までの間は、一年単位で与えられていた年休の大半を年度の当初から無計画に取得し、かつ、年休の不足を補うために病休を取るようになり、このような年休及び病休の取得によって原告の勤務日数は大幅に減少し、他の職員にも余分な負担をかけざるを得ない状況になった。しかも、病休の中には診断書の提出を要しない三日以内の病休も相当数含まれていたが、原告は、その病休を不正に利用して頻繁に借金返済のための金策に出歩いていた。そして、上司の再三にわたる注意、指導にもかかわらず、一向に態度も改まらず、遅刻を繰り返したりしては借金を重ね、職場にも頻繁に私用の電話がかかるなど公務遂行に専念することが困難になったばかりか、職務を通じて知り合い、しかも自立指導を行ってきた生活保護受給者から多額の金銭を借り受けるなど、公務員としてあってはならない極めて非常識な行動にまで及び、ついには破産宣告を受けるに至ったものである。

3  このような原告の一連の行動、態様、結果等を総合的に勘案すると、原告は、極めて勤務実績が不良であるのみならず、そもそも公務員としての自覚に欠け、職務に対する責任感や積極性が欠如していることはもとより、一般社会人としても規範意識や計画性等が著しく劣っているものと考えられるのであって、右のような原告の特徴は、原告の素質、能力、性格、趣味嗜好、交友関係、生活態度、生活環境等を前提として、これまでの原告の長年にわたる生活全般の中で継続的に培われてきたものであり、容易に矯正することができないものと思料されるから、原告には、公務員としての適格性も欠けているものといわざるを得ない。

したがって、被告が、原告について、地公法二八条一項一号及び同項三号に規定する「勤務実績が良くない場合」及び「その職に必要な適格性を欠く場合」に当たる事由があるとして本件処分をしたことについては、相当の理由があったものというべきである。

四  結論

よって、原告の本訴請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堂薗守正 裁判官須藤典明及び裁判官一木泰造は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 堂薗守正)

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